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■はじめに

秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛。筑前五二万石福岡藩の藩祖です。官兵衛の最も有名なエピソードは本能寺の変への対応でしょう。

秀吉が備中で毛利軍と対陣していたときに、本能寺の変が起こります。
明智光秀の謀反により信長が倒されたのです。
秀吉は悲しみとともに恐怖で錯乱します。
毛利と明智に挟み撃ちにされたら、ひとたまりもない。秀吉絶体絶命の危機です。
そのとき、秀吉に天下を盗る好機だと策を授けたのが官兵衛です。
その策「中国大返し」と明智討伐によって、秀吉は一躍、最大実力者となります。
官兵衛は秀吉の最悪のピンチを最高のチャンスに変えたのです。

ところが、次第に秀吉は官兵衛を遠ざけていきます。
戦功の割には与えた領土も少なかったともいわれます。
関白となった秀吉に対して多くの武将は媚びへつらいましたが、官兵衛は「我、人に媚びず、富貴を望まず」という姿勢でした。
軍師というと腹黒いイメージがあるかもしれませんが、官兵衛は決して世渡り上手ではなかったのです。

それでも、秀吉が困ったときに頼りにするのは、やはり官兵衛でした。
武田信玄も上杉謙信も失敗した難攻不落の小田原城の北条攻めです。
城を包囲したものの、北条氏はなかなか降伏しません。
そのとき、官兵衛はただ一人、刀も持たず、小田原城に乗り込みます。
そして相手の面目を保つ官兵衛の賢慮のある交渉により、北条氏は降伏し城を明け渡します。

これにより、秀吉による天下統一が成し遂げられました。
小田原開城に象徴されるように、官兵衛の戦争哲学は「戦わずして勝つ」ことにあります。
戦闘行為なき戦争勝利です。
官兵衛の戦には流血が少ない。
このことは戦争のバイブルといわれる「孫子」の本質です。

百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり
孫子(謀攻篇)

百戦して百勝するのが最高の勝ち方ではない。
戦わずして勝つことこそ、最高の勝ち方であるとの孫子の兵法を体現したのが官兵衛なのです。

官兵衛の評価は様々ありますが、筆者は官兵衛を己の損得、利害を求めた“小策士”ではなく、天下万民のために平和で豊かな世を築くことに貢献した“大策士”であると解釈しています。
目的は平和であり、戦争はやむを得ず行われるものだから、戦闘は極力避けたのです。
そこで本書では、官兵衛は、戦国の世を終わらせるために、自らはもちろん、信長・秀吉・家康すらも脇役にした壮大なるストーリーを描いた、と主張しました。

本書は、コンサルタントが執筆しました。
筆者は自らの経営する会社を「戦国マーケティング株式会社」と名づけるほどの戦国時代ファンです。戦争の勝ち負けのルールを応用して構築された「ランチェスター戦略」という競争戦略理論を指導原理に、企業の販売戦略づくりを支援しています。

企業の参謀役とされるコンサルタントはときに、現代の軍師といわれることがあります。
現代の軍師が戦国の軍師を語る本書は、歴史を知識・教養にとどめず、ビジネス戦国時代を生き抜く知恵として提供することを意図しています。
前半は軍師官兵衛とその時代~戦国の天下統一と織田、豊臣、徳川の三つの政権交代~を解説します。
後半は官兵衛の戦争哲学「戦わずして勝つ」をビジネスに置き換えていきます。
本書が二〇一四年のNHK大河ドラマを楽しむのみならず、読者のビジネスに役立てば幸いです。

二〇一三年一一月
福永雅文


ランチェスター戦略「弱者逆転」の法則 本の目次

はじめに 1

序 章 官兵衛の生きた戦国時代を大づかみする 9
歴史の流れを把握し「戦国時代」を位置付ける 10
官兵衛が生まれる前の時代「中世」とは/
官兵衛は戦国時代のクライマックス「割拠主義と天下統一主義の激突期」を生きた/
官兵衛の生きざまと天下統一に、未来のヒントを求めて

第一章 信長の天下布武と官兵衛 21

  1. 黒田家のルーツから戦国という時代の気分を知る 22
    黒田家のルーツの通説〜近江出身説〜/黒田家ルーツの異説と俗説〜播磨出身説と目薬屋説〜/官兵衛の生い立ち〜ミュージシャン志望の少年?〜

  2. 織田につくか、毛利につくか 30
    官兵衛の故郷・播磨の戦略的位置/織田氏と毛利氏、それぞれの背景と事情/
    織田氏と毛利氏、その友好と敵対/新しい織田か、古い毛利か。御着城の評定/岐阜城下に未来を見た官兵衛/信長、官兵衛に二つの宝を授ける

  3. 秀吉と官兵衛の播磨統一戦、その明と暗 42
    英賀合戦〜奇襲戦法で勝利〜/義兄弟の契りを結んだ秀吉と官兵衛/播磨平定戦第一ラウンドは秀吉・官兵衛が戦わずして勝つ/播磨最大の大名 別所長治の謀反/
    第二次上月城の戦いと山中鹿介/ 荒木村重・小寺政職の寝返りで、秀吉・官兵衛は四面楚歌

  4. 官兵衛、有岡城に一年間投獄される 55
    官兵衛、主君である政職に裏切られる/竹中半兵衛、官兵衛の嫡男の命を救う/
    一年間の投獄で解脱(?)した官兵衛/鉄甲船と、官兵衛救出/
    官兵衛、宇喜多直家の寝返りを仕掛ける

  5. 高松城の水攻めと、本能寺の変 66
    鳥取城の飢殺しと、吉川の橋を引く/官兵衛の淡路攻略〜四国攻めの根拠地とする〜/高松城の水攻め〜地形を逆手にとる〜/本能寺の変/
    秀吉最悪のピンチを最高のチャンスに変えた官兵衛の一言

第二章 豊臣政権の樹立から崩壊までと、官兵衛 79

  1. 秀吉の織田政権簒奪と官兵衛 80
    中国大返し〜日本史上屈指の大強行軍〜/山崎の戦い〜明智光秀を討つ〜/
    清洲会議1 〜鈍才の信雄か、凡才の信孝か〜/清洲会議2 〜第三の選択肢、三法師の擁立〜/賤ヶ岳の戦い〜柴田勝家と織田信孝を討つ〜/織田政権の簒奪と官兵衛〜小策士と大策士の違い〜

  2. 四国、九州、小田原攻めと官兵衛 98
    官兵衛不在の小牧・長久手の戦い/四国攻めと官兵衛の無血開城の策/
    九州攻めと官兵衛得意の調略/官兵衛、家督を長政に譲る/
    小田原攻め〜天下統一を決めた官兵衛の講和交渉〜

  3. 秀吉の死と豊臣政権の崩壊 114
    唐入りの理由と敗因/官兵衛と唐入り/秀吉の死と豊臣政権の崩壊/
    官兵衛・長政父子の「天下は回り持ち」思想

  4. 官兵衛と長政の関ヶ原 126
    小山評定と長政〜カギを握る福島正則を説得〜/関ヶ原の戦い、二代目軍師・長政の活躍/九州の関ヶ原、官兵衛は天下への野心はあったのか/
    如水〜水の如く生きた官兵衛〜

第三章 軍師・官兵衛に学ぶ 戦わずして勝つ経営 139

  1. 価格競争を避け、需要を創造する「バリュー」と「ビジネスモデル」 140
    ビジネス戦国時代を生き残る知恵/官兵衛の戦略の極意「戦わずして勝つ」を「価格競争を避け、需要を創造」することに応用する/アキレス「瞬足」〜価格競争を避け、需要を創造した「バリュー」事例1〜/東洋水産「マルちゃん正麺」〜価格競争を避け、需要を創造した「バリュー」事例2〜/戦わずして勝つ経営モデル/ビジネスモデルとは/ジェイアイエヌ「PC・スマホ用メガネ」~視力の補正の必要がない人にメガネを売る「ビジネスモデル」事例1~/亀太商店〜お米販売の新たな「ビジネスモデル」事例2、スモールビジネスの場合〜/ホギメディカル~消耗品販売から経営改善に「ビジネスモデル」を革新した事例3、生産財の場合~

  2. 価格競争を避け、需要を創造する「ブランディング」 164
    「ブランディング」とは/ハーレー・ダビットソン〜「ブランディング」事例1〜/中川政七商店〜日用使いの工芸品の「ブランディング」事例2〜/顧客主役のストーリーを描く営業戦略/ネスレ「キットカット」〜顧客との価値共創事例1〜/カモ井加工紙「マスキングテープ」〜顧客との価値共創事例2〜

  3. 価格競争を避け、需要を創造する「ミッション」と「ドメイン」 181
    すべての原点は「ミッション」にあり/アニコム「ペット保険」〜「ミッション」と「ドメイン」事例1〜/リブラン「環境共生の集合住宅」〜「ミッション」と「ドメイン」事例2〜/タニタ「健康をはかるから、健康をつくるへ」~「ミッション」と「ドメイン」事例3~/「ミッション」と「ドメイン」/「戦わずして勝つ」経営モデル

おわりに〜「大阪夏の陣図屏風」に込められた黒田長政と筆者の想い 198
【参考文献】 203

■おわりに~「大阪夏の陣図屏風」に込められた黒田長政と筆者の想い

黒田官兵衛については、野心家で秀吉に警戒され才能はあったが大成できなかった、 関ヶ原の戦いのときに天下を望もうとしたが失敗したとの見方があります。
官兵衛の後継者の長政については、豊臣恩顧の大名でありながらいち早く徳川方につき、福島正則らを言いくるめたといわれています。
また、官兵衛が得意にした籠城戦は、敵が餓死するのを待つ非人道的な戦であり、敵味方の戦死者を少なくしようとしたのではなく、味方のみの損害を少なくしようとしたものであるともいわれます。

筆者も、戦国の世をサバイバルした官兵衛父子が聖人君子だったとは思いません。
ただ、己の損得、利害のみを求めた腹黒い小策士では決してありません。

「天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の天下なり」。

天下、すなわち民衆のために、いかなる世の中をつくるのか。天の視点でものを考えた大策士である。このような主張を本書で展開しました。
そう思うに到った筆者の原点を最後に紹介して、本書をしめくくることにします。

「大阪夏の陣図屏風」という国指定重要美術品があります。
官兵衛が亡くなって一四年後の慶長二〇年(一六一五年)、徳川家康が諸大名とともに大阪城の豊臣秀頼を滅ぼします。
戦国時代の完全な終焉となる戦・大阪夏の陣の様子を描いた絵です。描かせたのは黒田長政。筆者はいまから三〇年前、大学生のときに初めて見ました。

大阪城天守閣に収蔵されています。
本物は時どきしか見られませんが、複製画が常設されていますので、いつでも見ることができます。

屏風絵の定型の六曲一双です 。畳六枚を縦につなげて一隻。二隻を左右に連ねて一双です。
およそ幅八メートルの大画面です。この右隻は徳川軍、豊臣軍の諸将の戦う様子が描かれています。
もちろん、長政も描かれています。
戦の様子を描いたこの時代の絵は、依頼主の意図に基づいて描かれます。一般に自分の功績を広く世間に知らしめる顕彰を意図します。
ところが、「大阪夏の陣図屏風」で描かれている長政は、困ったような、苦いものを呑みこんだような、冴えない表情をしているように見えます。
それどころか、左隻は戦禍を逃げまどう民衆を雑兵(末端兵士)どもが、乱暴狼藉する様子が全面に描かれています。
身ぐるみ剥がされている人、犯されている女性、そして、首を斬られている人。戦争の悲惨さがこれでもか、これでもか、と描かれています。
顕彰のためなら、そういうシーンを全体の半分も描かせる必要は全くありません。

なぜ、長政はこんな地獄絵を描かせたのか。豊臣恩顧の大名でありながら、心ならずも徳川氏に従って、豊臣氏の滅亡に力をかさなければならなかった長政が、滅びゆく旧主のために捧げた挽歌ともいうべきもの、との解釈があります。

一方で、豊臣系だからこそ、徳川への忠誠を示す必要があり、徳川の力を示す意味で描かせたとの解釈もあります。長政の自家防衛策であると。

どちらにも一理ありますが、これをみた筆者は、素直に戦争の悲惨さを感じました。
悲惨さをリアルに描くことで、もうこれで本当に戦は終わりにしよう。
後世、戦になりかけたら、この絵を見るとよい。犠牲になるのは民衆であることに気づき、歯止めになるのではとの意図を感じました。
つまり、平和の希求です。
なぜ、そう感じたのか。

筆者の原体験に影響があると思いますので、少々、個人的なことを書くことをお許しください。

筆者は広島県呉市の出身です。

広島市が被爆地であることから、広島県では平和教育が盛んです。
どの小学校も原爆ドームと広島平和記念資料館に体験学習に行きます。
被災した民衆の状況をリアルに再現する展示物を県民は子どものとき、必ず見るのです。
小学生当時の筆者はそれを見て、あまりの衝撃に茫然とし、やがて怒りが沸いてきて、最後は深い悲しみにつつまれました。
そして二度とこの過ちは繰り返してはならないと思いました。

一方で、広島市に隣接する筆者の故郷の呉市は昔もいまも軍港です。
筆者の亡父は海上自衛官でした。
父は江田島の海上自衛隊幹部候補生学校や同第一術科学校で教官をしていました。
両校とも戦前の海軍兵学校の流れをくみます。

かの秋山真之も、山本五十六も学んだ大日本帝国海軍の将校の養成を目的とした教育機関です。
小学生時代に何度か、基地内を見学する機会がありました。
護衛艦や潜水艦にも乗りました。

子どもの筆者は素直に、そのすごさに圧倒され、規律の厳しさに身が引き締まり、強さへ憧れ、そしてその強さは愛するものを守るためのものであることに誇りを感じました。
同時に、これが戦争を生んでしまうのか、とも。

筆者は戦争と平和について、子どもの頃から、ずっと考えてきたように思います。
ですから、大学生の頃、始めて「大阪夏の陣図屏風」を見たときに、右隻は自衛隊基地内見学、左隻は広島平和記念資料館のようなものだなと感じたのです。

それから三〇年後、本書を書く機会を得た筆者は、官兵衛・長政父子を「平和で豊か」な時代を築くことに貢献することをミッションにして戦った軍師である、と定義しました。
平和は祈るだけでは手に入りません。

とくに戦国時代にあっては。前線に立って戦うことで初めて手に入るのです。
ただし、目的は平和であり、戦争はやむを得ず行われるものです。

だからできるだけ少ない人的損害で戦争を終わらせる「戦わずして勝つ」ことが官兵衛のドクトリン(基本原則)だったのです。

社会、あるいは民衆を主人公にして、主人公が叶えたい夢「平和で豊か」を実現するために、黒田家はもちろん、信長・秀吉・家康すらも脇役にしたストーリーを描いたのではないか。
その貢献の結果、黒田家は存続が認められると。

この思想こそが、今日の経営やビジネスに求められます。
消耗戦となり、デフレを招く不毛な価格競争により縮小市場を奪い合うことを「戦って勝つ戦争」に例えました。

それに対して、顧客への新たな貢献価値を提供した結果、価格競争が回避され、市場が活性化され、新たな需要が創出されることを「戦わずして勝つ、平和への志向」に例えました。

もちろん、この経営思想で需要の奪い合いが全く無くなるとは申しません。
しかし、ライバルはイス取りゲームのプレイヤーとの側面よりも、共に需要を創造する仲間という側面が強まります。

もとより筆者は健全な競争こそが社会を発展させ、生産性を上げ、人々の心や暮らしを豊かにする資本主義社会を信じるものです。
競争のない世界に成長・発展はないと考えます。顧客への貢献度合いを切磋琢磨する向上戦は顧客のためになります。これらの「戦わずして勝つ」経営思想を体系化したのが本書です。

コンサルタントの視点で歴史を解釈する試みは、企業の勝ち残りを指導する競争戦略の専門家として仕事をしてきた筆者の、いまの問題意識を世に問うことになりました。

読者に、新たな貢献価値が提供できたのなら、これに勝る歓びはありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。