拙著『新版ランチェスター戦略「弱者逆転」の法則』を参考文献とした
「弱者逆転の法則ランチェスター戦略」が配信
本書は2005年に刊行された「ランチェスター戦略『弱者逆転の法則』」の増補改訂の新版です。
大手の寡占と弱小の淘汰が進んでいた当時、ライバルに比べて小さな会社や競争条件の不利な会社がいかにして勝ち残るのか、との時代のニーズに応えるため、「競争戦略・販売戦略のバイブル」ともいわれるランチェスター戦略を甦らせたものです。
戦いの原理、勝ち方の原則といった普遍の真理は守りながら、競争環境の変化や最新の理論・手法を踏まえてバージョンアップさせました。
お役に立ったのか、増刷を重ねてロングセラーとなりました。
それから13年が経とうとしています。
その間、リーマンショック、東日本大震災があり、人口は減り、格差は広がりました。
GDPは中国に抜かれ、日本企業は世界市場で競り負けることが多くなりました。
弱肉強食の傾向はますます強まり、一部の勝者と多くの敗者に二極化しています。
ランチェスター戦略の必要性はますます高まりました。
旧版は筆者のメジャー出版デビュー作でした。
世に問うた05年以来、筆者のもとには「ランチェスター戦略」をわが社に導入したい、どう取り組めばよいのかを教えてほしいとの要請が相次ぎました。ランチェスター戦略の専門家になりたいので教え方を教えてほしいとの声も寄せられています。
おかげ様で、判官びいき(弱きものを応援する気風)のコンサルタントとして筆者は、質・量ともに大変充実した仕事をさせていただきました。
そして、このたび、この間に培った知見を活かして増補改訂の新版として執筆する要請を受け、筆者の10冊目の著書として、発行していただけることになりました。
改訂にあたり手を入れたことは、
第一に、本書は53もの事例を掲載していますが、企業事例の大半を書き直しました。
第二に、この間の実戦経験を踏まえて第6章の五つの実戦体系を総点検し、導入の急所を新たに解説しました。
第三に、理論と用語の使い方を最新のものに更新しました(筆者はNPOランチェスター協会のテキストの責任者を長年務めています)。
結果として、章構成も変わり、全面的な書き直しとなりました。
競争環境が激しくなる一方で、「弱者逆転」の可能性も高まっています。
情報化の伸展は、人に・社会に・地球にやさしい魅力のある企業や、多様化したニーズに応えようとする個性的な会社を応援しようとする傾向を高めています。
この新版が、ビジネスにおける小さきもの、弱きもの、されど美しきものの志を果たすことにお役に立てば、これほど嬉しいことはありません
2018年3月 福永雅文
勝ちに飢えているあなたに
【企業事例1】ピーターパン 売上の3分の2を捨て、7年で5倍にしたパン屋
理念に従い、売上を捨てる/常に焼きたてという圧倒的な差別化
【企業事例2】セルコ 脱下請けを果たしたコイルメーカー
国内空洞化にチャンスを見出す/開発、試作で高付加価値コイルメーカーに
【企業事例3】ハウステンボス 18年連続赤字、実質経営破綻した施設を再建
歴史的役割を終えた施設に新たな命を吹き込む/凡事徹底が差別化戦略に/唯一、日本一、世界一。そして、踊り出したスタッフ
戦いの原理──「競合局面における敵と味方の力関係で勝敗が決まる」
歴史事例1 孫子/歴史事例2 ナポレオン/歴史事例3 海賊古法と日露戦争
弱者逆転の法則──「局所優勢主義」
企業事例4 大手の隙間をついたペット保険ナンバーワンのアニコム/企業事例5 体験をカタログギフトにしたソウ・エクスペリエンス/企業事例6 小さな町の地域ナンバーワンのリフォーム会社アサダ建設
勝ち方の原則──「ランチェスター戦略」で弱者逆転!
弱者は、万人受けを狙ってはならない/企業事例7 筆者もランチェスター戦略で弱者逆転した!/個人事例 子供にサッカーではなくフットサルを奨めたお父さん
すべての企業と個人に「戦略」を
ランチェスター第一法則──「局地戦ならこう戦え!」
ランチェスター第一法則の事例──信長型で戦うか、秀吉型で戦うか/歴史事例4 「武器性能」で戦った織田信長/歴史事例5 「兵力数」で戦った豊臣秀吉/あなたの武器は何ですか?
ランチェスター第二法則──「広域戦ならこう戦え!」
ランチェスター第二法則の事例──ガダルカナルの失敗をバカにできるか?/歴史事例6 ガダルカナルの戦い
ランチェスター法則をビジネスに応用する
企業事例8 世界を制した「たこ焼き水着」/企業事例9 浪速のエジソンの「絶対にゆるまないナット」/「小さな会社イコール弱者」は間違い⁉︎
弱者の基本戦略「差別化」vs強者の基本戦略「ミート」
マネすることは戦略なり。ただし強者限定の「ミート戦略」/企業事例10 松下マネシタ商法/企業事例11 居酒屋の「模倣戦略」
商品・サービスの差別化──差別化の王道
差別化の王道と詭道「商品の差別化」/企業事例12 「朝専用」と言い切っただけの缶コーヒー/差別化の宝の山「サービスの差別化」/企業事例13 運輸業にサービス業の思想を導入した中央タクシー/企業事例14 ビフォアサービスで営業要らずのコミック包装機器メーカー
価格の差別化──強者と違った価格帯で戦え!
企業事例15 新業態を生み出したドトールコーヒー/企業事例16 「Lサイズ関連」に絞ったしまうまプリント/企業事例17 用途、販路、価格帯を差別化した清月のロールケーキ
販路の差別化──弱者逆転は販売経路から
企業事例18 販路の変化は弱者逆転の千載一遇のチャンス/企業事例19 珍ネーミングでニッチなチャネルを開拓
地域──差別化の切り札
企業事例20 二等立地でしたたかに稼ぐしまむら
広報・広告・販促の差別化──お金がなくてもできる遠隔戦
企業事例21 タニタのニコニコ動画/企業事例22 白虎隊と健康食品
営業の差別化──売り方を差別化する
企業事例23 面倒見のよさを極めるでんかのヤマグチ/企業事例24 カーテンを部屋に“試着”させる
市場・顧客層の差別化──売り先を差別化する
企業事例25 思想のある住宅で、顧客層を差別化
理念・事業の定義の差別化──究極の差別化
企業事例26 ハーレーはレジャー産業である
ランチェスター差別化5原則
1 簡単にミートされる差別化は差別化ではない/2 顧客に評価されない差別化は差別化ではない/3 差別化は掛け算で相乗効果が生まれる/企業事例27 三拍子で差別化している吉野家とQBハウス/4 自業界の非常識は他業界の常識/企業事例28 他業界の常識を導入したカーコンビニ倶楽部/5 小技も大切だが、信念のない小手先は通用しない
弱者と強者の5大戦法
弱者は狭い市場で大きなシェアを!──「局地戦vs広域戦」/歴史事例7 陶山訥庵のイノシシ退治/弱者の新規開拓はオンリー顧客を狙え!──「一騎討ち戦vs確率戦」/歴史事例8 宮本武蔵「一乗寺下り松の決闘」/弱者は消費者・エンドユーザーに接近せよ!──「接近戦vs 遠隔戦」/弱者は一点に集中する覚悟をもて!──「一点集中主義vs総合主義」/企業事例29 大艦巨砲主義の駅弁コンツェルン「峠の釜めし」/弱者は敵に味方の攻撃意図を知られるな!──「陽動戦vs誘導戦」/歴史事例9 義経の奇襲戦法
【歴史事例10】信長の桶狭間の戦いを弱者の5大戦法で斬る!
なぜ、桶狭間の戦いが起きたのか/信長の戦略コンセプト/ランチェスター弱者の5大戦法で分析する/「スピード」「情報」という武器(差別化)
シェアによって戦い方は異なる
シェアはどのように調べるか
企業事例30 トヨタの40%/企業事例31 シェア40%超、社員数34名で東証一部上場した「楽待」
シェアの【七つのシンボル目標数値】──シェアはどこまでとればよいのか
三:一の法則──3対1で戦えば必ず勝てる
歴史事例11 赤穂浪士とゼロ戦対策/歴史事例12 太平洋の島々への上陸作戦
射程距離理論──どこまで差をつけると安全圏か
シェアのパターンと推移──競争環境によって目標が明らかになる
歴史事例13 戦国時代のトーナメント
ナンバーワン主義──“なんちゃって1位”では意味がない
企業事例32 圧倒的な1位と“なんちゃって1位”を明確に分けているGMO/ピンチもチャンスも平等ではない/企業事例33 焼き肉のタレのメーカーの命運/企業事例34 「不況なおよし」松下幸之助の名言に別の解釈をすると
一点集中主義──弱者のナンバーワンづくり
儲けたかったら戦線を縮小せよ/商品の一点集中/企業事例35 キャリアカウンセラーに集中した日本マンパワー/地域の一点集中/企業事例36 ドミナント出店する保育園/顧客層の一点集中/企業事例37 富裕シニアに一点集中したニッコウトラベル/最後は決断力!
「足下の敵」攻撃の原則──叩く敵を決めよ
企業事例38 トヨタと張り合ったかつての日産/歴史事例14 信玄との戦いを避けた信長/「『足下の敵』攻撃の原則」の注意点
ランチェスター戦略 五つの実戦体系
ランチェスター新規事業戦略(実戦体系1)
事業の立ち上げは5W1Hで/市場の成長曲線と「グー・パー・チョキ理論」/事業の立ち上げは「弱者の戦略」で。しかし、成長期は「強者の戦略」で。
ランチェスター事業戦略(実戦体系2)
市場環境分析① 市場(分母)を調べる/市場環境分析② 分子(シェア)を調べる/市場環境分析③ ポジショニング・マップ
ランチェスター地域ナンバーワン戦略(実戦体系3)
ステップ1 商圏・テリトリーの把握/ ステップ2 顧客マップの作成と商圏・テリトリーの再編成/ ステップ3 テリトリーの細分化と重点エリアの設定
ランチェスター シェアアップ戦略(実戦体系4)
ステップ4 ローラー調査/ステップ5 ランチェスター式ABC分析、カバー率とAa率/ステップ6 構造シェアによるシェアアップ目標と戦略の策定
ランチェスター営業戦略(実戦体系5)
ステップ7 顧客の戦略的格付けと訪問計画/シェアがわからない場合の顧客の戦略的格付け方法/営業担当者攻撃力の法則/人材の視点──勝ち味・勝ち癖の法則/プロセスの視点/計画性の視点/戦略導入 成功するパターン、失敗するパターン/トップだけが突破できる、成功と失敗の急所
エピローグ “本物”の勝利を得るために
弱者逆転10か条
“ランチェスターな人”になる個人戦勝利の5か条
この本を手にしているあなたはズバリ、勝ちに飢えていますね。
そんなビジネスでの勝利に飢えているあなたのために、この本を書きました。
ですから、勝ち負けにこだわらない人には不要な本です。
そっと本棚に戻しておいてくださいね。
勝ちに飢えているということは、少なくともいまの状況に満足していないでしょう。
「儲かっていません!」そんな声が聞こえてきそうです。あなたの会社がなぜ、儲からないのか?
その理由は簡単なことです。
ライバルに負けているから。
ライバル以前に顧客に通用していないのかもしれません。
そもそもビジネスの根本は「顧客に通じて、敵(ライバル)に勝つ」ことです。
顧客は、ライバルとあなたの会社を比べて選んでいます。
あなただってコンビニでお茶を買うとき、複数の選択肢のなかから一つを選んでいるでしょう。
お茶のメーカーはあなたに選んでもらおうと必死です。
それと同じ。あなたの会社もライバルと顧客の奪い合いをしているのです。
戦い以外の何ものでもありません。
勝ち負けの世界なのです。
ビジネスが戦いである以上、勝つしかありません。
負けたら儲かりません。
負け続けると破綻します。
この戦いは自社と自分の生存権をかけた戦いです。
勝つしかないのです。
では、どうすれば勝てるのか。
ライバルに比べて小さな会社や競争条件が不利な会社が。
これが、本書のテーマです。
大きな会社が小さな会社に勝つのは当たり前。弱肉強食、優勝劣敗は自然界の摂理。
ビジネス界も戦略なしに戦えば、どんなに一所懸命にやろうとも大が勝ち、小が負けます。
しかし、やり方次第、すなわち、戦略次第で小が大に勝てます。勝てないまでも負けずに存在し続けられます。
本書で私はあなたに、小さな会社が大きな会社と戦って勝つ方法「小が大に勝つ弱者逆転のランチェスター戦略」を伝授します。
小手先のテクニックではありません。
骨太な戦略論です。
でも、むずかしくはありませんよ。
53の事例を挙げながら、わかりやすく解説していきますから。
しかも、きょうから使えるノウハウとして提供しますから、実戦的です。
なお、本書では私の信条から「実践」という言葉をあえて「実戦」と記しています。
ご承知おきください。
また、本書でいう小さな会社とは中小零細企業とは限りません。
「ライバルに比べて小さい会社」という意味です。
上場企業でも、より大きなライバルと戦うときには小さな会社になります。
中小企業でも、より小さなライバルと戦うときには大きな会社です。
大小はあくまでもライバルと比べる相対的なものとして書き進めます。
ランチェスター戦略とは何かの解説に入る前に、3社の企業事例を紹介します。
どのように企業はこれを活用するのか、実戦するうえでのポイントは何なのかを、まずは読者にイメージしていただきたいからです。
事例1のピーターパンの横手和彦会長は勉強熱心な方です。
ランチェスター戦略も勉強されたことで「地域一番店」でなければならないと気づきます。
そのために重大な経営判断をされました。
事例2のセルコの小林延行社長はランチェスター戦略を知っていたわけではありません。
お話をうかがった筆者がランチェスター戦略の理論に照らし合わせてみると、理論どおりのやり方をされていました。
ご自身の経営判断の裏付けがとれたとのことでした。
事例3のハウステンボスの澤田秀雄社長は、2006年以降、海外旅行取扱い人数で、あのJTBを抜いて1位となったエイチ・アイ・エス(H.I.S.)の創業社長として著名な方です。
澤田社長は1980年のエイチ・アイ・エス創業の頃、ランチェスター戦略を確立した故・田岡信夫先生の著書をお読みになり、それ以降、自社の戦略づくりに活用されてきました。
澤田社長は2015年に世界に通用する次世代経営者の教育機関「澤田経営道場」を立ち上げますが、その主要カリキュラムにランチェスター戦略が採用されています。講師は筆者が務めています。
まずは、3社の事例をお読みください。
7店舗で年間19億円以上を売り上げ、年間200万人もの人が訪れる超繁盛パン屋が千葉県にあります。
株式会社ピーターパンです。平日のお昼どきに船橋市にある本店を訪れました。
同店は船橋駅から車で5分ほどの郊外ロードサイド店です。
50台駐車できる駐車場をもっています。
店構えはログハウス風。パン焼きおじいさんが石窯からパンを取り出すイラストが壁面に描かれています。
店内に入ると、そこは生鮮市場のような活気。お客様でごった返し、店員さんが笑顔で「メロンパン焼き上がりました〜」などと言いながら焼きたてパンを次から次へと陳列していきます。
調理スペースはオープンスペースかガラス張りで、パン職人さんのキビキビした動きがよく見えます。
とくに目が向くのは入り口すぐ脇のスペイン製石窯。職人さんが焼きたてのパンを取り出す場所がよく見えるように開放されていて、お客様は一体感を感じることができます。
焼きたて、揚げたて、つくりたてのパンが他店より1割以上も安い。レジには平日の昼間だというのに行列が。
コーヒーや麦茶を無料で提供しており、お店の前のテラスで食べている人も大勢います。
子連れの若いママたちや、中高年の夫婦連れなどで溢れています。
おいしいものを食べると自然と笑顔が広がります。お客様の笑顔は、お店のスタッフも笑顔にします。
このお店が繁盛しているのは他のパン屋だけでなくファミレスやファストフードなどの外食産業からもお客様を取り込んでいるからなのでしょう。
創業者で現在は会長の横手和彦さんは、若い頃からレストランクラブを経営していましたが、従業員に経営を譲り、1978年、33歳のとき「焼きたてのパンの店ピーターパン」を開店します。
千葉県の東南部(東葛地域、京葉地域ともいう)は東京のベッドタウンとして急速に人が流入してきた地域です。
需要が拡大し続けていました。
やがて、宅配ピザのフランチャイズにも加盟し、パン屋と宅配ピザ屋を多店舗展開し、95年には売上は5億円を超えましたが、宅配ピザブームは終わり、経常利益も激減しました。
ピザ屋はフランチャイズ本部の方針と考えが合わず、脱退。独立店となります。
横手さんはこの頃から経営の勉強に本格的に取り組みます。
それまでは「早く規模を拡大した者が勝つ」という考えを経営の原理としてきました。これは市場が成長するときの論理です。
市場が成熟してくると、1店1店が弱ければ利益は出ません。
ランチェスター戦略も勉強されて、成熟期の論理は「地域一番店」であることに気づきます。
地域一番店を目指すには、パン屋か、ピザ屋のどちらか一つに絞るべきだと考えます。
どちらに絞るべきか。そのために、経営とは何か、事業と何か、仕事とは何か、を突き詰めて考えました。
「よいものを広めていくことは大切。
しかし、規模を拡大すること、売上を追求することは事業の目的ではない。利益は企業の持続的発展や社会的役割を果たすためにも必要だが、仕事をした結果として得られるもので、これも事業の目的ではない。
『お客様も楽しい、社員さんも楽しい、経営者も楽しい』、そんな、みんなが楽しい経営をすることが、自分が事業を行なう目的だ、との思いに至りました」
98年当時、パン屋3店で売上1億8000万円。
宅配ピザ屋5店で売上3億6000万円。1対2の割合です。
横手さんは売上の3分の2のピザ屋から撤退し、売上3分の1のパン屋に事業を絞る決断をします。
ピザ屋の利益が出ていなかったわけではなく、利益も1対2の割合でした。
「楽しい経営」が目的ならば、お客様の笑顔に囲まれたパン屋に集中したいとの思いです。
もちろん、ピザも宅配時にお客様の笑顔に出会えますが、その体験ができるのは配達スタッフだけ。
かつてレストランクラブをそうしたように、ピザ屋も先々会社を譲ることを前提に資本と経営を分離し、従業員に任せることにしたのでした。
横手さんは、
「集中するからには圧倒的な差別化を行ない、地域一番店にならなければならない。そのための理想の店づくりをしよう」
と考え、同年、現在の店舗の原型となる店を開店します。
「楽しい経営」の目的のもと、お客様には見る楽しみ、スタッフと語らう楽しみ、買う楽しみ、食べる楽しみを存分に味わってもらいたい。
そうして買う人、食べる人、つくる人、売る人に、もっと喜んでもらいたい……そう考えた横手さんは
「ちょっと贅沢、ちょっとおしゃれな食文化を提供します」
をコンセプトにした店づくりをしていきます。
こうした姿勢が「千葉都民」といわれる東京のベッドタウンである千葉県東南部に暮らす人々、とくに主婦層に支持されます。店づくりとともに、原価は高いけれど価格を他店より1割以上安くしていることがポイントです。
当然、粗利率は下がります。
その代わり、客数、客単価(1客あたりの買上総額)が増えます。
パン屋の多売とは商品回転率が高いということです。
ピーターパンは実に1日14回転します。その結果、常に焼きたてパンを提供している店となりました。
パンは焼きたて、つくりたてが旨いに決まっています。
ピーターパンは常に焼きたてという圧倒的な差別化を手に入れたのです。
2007年までに大型店を3店、スーパーの小型インショップ1店の計4店体制となり、年商10億円、経常利益1億円を突破するに至ります。1999年に売上の3分の2を捨ててから、7年で当時のパンの売上に比べて5倍以上になったわけです。
大型3店は東西10キロ、南北6キロメートルの三角形で結ばれています。
点が線になり、面を形成します。この三角形で囲まれた地域はピーターパンの影響を強く受けることになり、占有率が高まります。いわゆる「地盤化」であり、こういう出店方法をランチェスター戦略では「三点攻略法」といいます。
ピーターパンはこうしてこの地域ナンバーワンのパン屋となりました。
大型2店は土日になると客数は2000人、客単価1000円で、日商200万円という超繁盛店です。
「この業界は構造不況業種だ、原料高だといわれますが、不況や原料高のせいにしてもしようがないし、不況業種はパン屋だけではない。不況業種のなかに勝ち組・負け組がいるのです。むしろ、好況業種ほど競争は激しく、不況業種ほど競争は緩やかなのではないでしょうか。勝負を分けるポイントは商品価値と価格のバランスだと思います」
その後、横手さんは会長に就任され、同社は事業承継をされます。
現在、横手さんの娘さんで二代目の大橋珠生社長のもと、ますます発展しています。
7店舗となり、年間に200万人もの人が訪れます。
大型店は1店あたり年商3億円。
これは平均的パン屋の10倍です。
2015年には、ギネスブックの「24時間以内で最も多く売れた焼きたて菓子パンの数」を、メロンパンで挑戦し、9749個の世界記録も達成しました。
株式会社ピーターパン
創業◆1977年 代表取締役社長◆大橋珠生 取締役会長◆横手和彦
所在地◆千葉県船橋市 事業◆パンの製造販売業
年商◆19億6000万円 従業員数◆384名(社員124名、パート・アルバイト260名) http://www.peaterpan.com
銅線を筒状に巻くことで電流をエネルギーに変える電子部品がコイルです。
モーターやセンサーになくてはならないもので、自動車、家電、電子機器と、あらゆる製品に組み込まれています。
かつては、一つひとつ手巻きするという手間がかかる割には安価なため、内職に毛が生えた程度の無数の零細業者がコイル製造の担い手でした。
セルコは1970年、現在社長を務める小林延行さんのお兄さんが長野県東部の小諸市で創業しました。
廃バスを工場にして皆でコイルを手巻きする。
夏は暑くて仕事にならなかったといいます。セルコもまた、無数の零細業者の一つだったのです。
創業数年で親戚の縁で県下の大手プリンタメーカーS社の仕事を受注。
以降、セルコは同社の下請けとして発展していきます。
大量生産するために、当時出始めた自動コイル巻機をいち早く導入し、S社の指導のもと生産管理、品質管理を行ないます。
結果、月間数百万個のコイルを製造。その組み立てまで手がけるようになります。
最大で従業員120名、3工場が稼動しました。
その頃、小林さんが入社。やがて実務を任されるようになります。
ところが、90年代初頭、S社は主力製品を転換。生産拠点も海外を主とするようになります。
S社からの仕事は急速に失われます。
経営危機に陥り、人員削減を行なって従業員数13名に縮小します。
小林さんが社長に就任し、再建を託されますが、月商1000万円にまで落ち込みます。
バブル崩壊、生産拠点の海外移転、国内空洞化という大きな世の流れではありました。
小林さんは、
「こんな時期に社長になって貧乏くじを引いた。ウチだけではなく世の中全体がそうなのだから仕方ない」
と、諦めに似た気持ちでいました。
そんなとき、小林さんは友人に誘われて経営者向けの研修会に参加し、こんな時代でも頑張っている中小零細製造業もあることを知ります。
2000年のことです。
「被害者意識と下請け根性だけで、経営者としてなすべきことを何もしていなかったことに気づきました。辞めてもらった社員の顔が浮かんで、その場で号泣してしまいました」
やがて小林さんは、これから何をすべきか、ひらめきます。
「わが社にはコイル製造の技術がある。コイルの量産品は人件費の安いアジアに流れた。その結果、多くのコイル製造業者は海外移転したか、廃業している。しかし、国内に特殊なコイルの需要がないわけではない。そんな開発、試作の仕事ができる国内の業者はもはや限られている。わが社のような小規模会社であれば、開発や試作仕事でも少量多品種の仕事でも充分やっていける。技術を活かして新しいコイルの開発に取り組めばいい」
単価の安い下請け仕事は量で稼ぐ仕事で、発注量も万単位。
親会社の要求する数量を納期どおりこなしていればよかったわけですが、これからは営業をしなくてはなりません。
営業先は大手メーカーの開発担当に絞りました。
普通のコイルをより安く買おうとする購買担当と違い、製品開発に取り組み、コイルとその周辺に問題意識をもち、特殊なコイルを欲しがるのは開発担当だからです。
小林さんは
「コイル&コイル周辺技術のソリューションパートナー」
と名刺に刷り込み、ホームページや展示会で打ち出して、空中戦(情報発信、PR活動)を繰り広げます。
新製品ができればプレスリリースを作成して地元の新聞社などに送り、記事にしてもらいます。
接近戦(営業活動)では顧客の問題に迫っていきます。
たとえば、飲料の自動販売機は零下から高温まで温度差が生じるがゆえにコイルが結露して劣化するという問題がありました。
セルコは結露しにくいコイルを開発することで、この問題を解決します。
下請けを脱するには、独自の技術により顧客の問題を解決しなければなりませんが、さらにそのことをPRし、営業しなければなりません。
技術力に集客力と営業力が伴わない限り、成り立たないのです。
セルコは様々な顧客の問題解決に取り組むために、特殊なコイルの開発を続けた結果、誰もできない独自性がある付加価値をもったコイル製造会社となっていきます。
理論上、コイルのエネルギー出力は銅線を巻いた回数に比例するといわれています。
ですが、現実にはそうなりません。なぜなら巻き方にムラがあるからです。
普通の丸線コイルでは占積率(全表面積に占める銅線の割合、密度のこと)は80%程度。
巻きムラによる空間はエネルギー効率を落とすのみならず、熱がこもり劣化が早まります。
セルコが開発した特許製品の高密度コイルは占積率最大96%です。
エネルギーが理論値に近く増幅される、小型でパワフルなコイルです。
半導体や最新の情報機器に組み込まれていきます。
こうして培った「高密度コイルのセルコ」という評判は意外なところからの引き合いを呼び込みます。
内科医から、コイルを患部に貼ることで腰痛やリウマチ、アレルギーを治療したいという依頼が来ました。
人体には生体電流と呼ばれる微弱な電流が流れています。
生体電流は生命活動の様々な情報を全身に伝える役割の一部を担っていますが、この流れが停滞すると関節や筋肉の痛み、ひいてはアレルギー疾患や内臓疾患にまで至ると考えられています。
この生体電流の流れを整えることにコイルが使えるというのです。
同社に問い合わせをした仙台市の丸山修寛内科医(丸山アレルギークリニック院長)との共同研究により、外部の静電気や電磁波を取り除き、生体電流の流れをスムーズにするコイル「セルパップ」を開発しました。ついにセルコは完成品メーカーとなったのです。
その後、リーマンショック、大震災と大きな社会的経済ショックの波に翻弄されながらも、さらに技術力を高めたセルコは、通常±5%は必要といわれるインダクタンスという特性を±1%以下に抑える巻線技術を確立。社会インフラ関連のセンサーコイルを受注し、タイで小林さんのお兄さんが経営するコイル製造会社に委託し量産しています。
2012年には、中国から研修生として来ていた優秀な人材を中心に合弁会社を中国大連に設立。生産体制も盤石になってきました。高品質なコイル部品はダイソン社の掃除機やH3ロケットなどにも使われています(ロケット関連は国内のみで製造)。
最近は、EV化へのシフトが加速し、こぞって高効率モーターの開発に注力する自動車業界からも、セルコの高密度コイル技術は注目されています。
特殊なコイル技術にこだわり続けたことで、セルコは勝ち残りました。
株式会社セルコ
設立◆1970年 代表◆小林延行 所在地◆長野県小諸市
事業◆コイル製造業 年商◆12億7000万円(2017年度)
従業員数◆38名(パート・人材派遣含む) http://www.selco-coil.com/
1992年、総工費2200億円をかけて華々しく開業したハウステンボス(以下、HTB)。
その歴史はまことに厳しいものでした。
開業以来、18期連続赤字、その間に実質的な破綻が二度。
「バブルの負の遺産」「九州最大の不良債権」といわれたこのHTBの再建に2010年4月に取り組み始めた澤田秀雄社長。
格安航空券で日本の旅行を一変させ、海外旅行の送客数ではあのJTBを抜き去って日本一となったエイチ・アイ・エスを創業した人物です。35年ぶりに航空業界に新規参入するなど、経済界の突破者といわれています。
証券、銀行、ホテル、鉄道、バスなどの企業再建にも数多くの実績のある澤田さんも、今度ばかりは苦戦をするのではないかと思いきや、半年で黒字化、大震災のあおりを受けても黒字と、見事に再生を果たしました。
メディアが"澤田マジック"と呼んだこの劇的な再生はいかにしてなし得たのか。
「HTBはオランダの街並みを再現したテーマパークです。街並みは本家オランダよりも美しいものですが、オランダそのものではありませんからオランダにはかないません。それでも海外旅行に行くことが特別だった時代には、国内でオランダ気分を味わえるという意味がありました。ところが、いまは気軽にオランダに行ける時代です。それこそエイチ・アイ・エスを利用すれば(笑)。HTBの歴史的役割は終わりつつあると思いました」
澤田さんはHTBの不振を、開業以来のコンセプト「オランダ村テーマパーク」が時代のニーズに合っていないことにあると見抜きます。
「HTBとは何か。花と緑と水に囲まれたクラシックな美しい街並みです。テーマパークというよりも都市です。これから人々に求められる都市とはいかなるものでしょうか。クラシックな街並み。花畑や水車や森や運河や海といった心癒される景色。エンターテイメントやアミューズメントの驚き、感動といった良質な刺激。それでいてハイテクを駆使した次世代環境都市。都市機能を充実させていけば『東洋一美しい観光ビジネス都市』になるのではないかという夢が描けたから、再建をお引き受けしたのです」
もう一つ、HTBには難がありました。
長崎県佐世保市という立地の悪さです。佐世保の商圏は首都圏の20分の1です。
アクセスは福岡から車で2時間、長崎空港からはバスで1時間。
遠いし、便数は少なく、航空運賃は高い。
「たしかに東京からは遠い。でも、佐世保を中心に据えると、上海は東京よりも近い。ソウルは関西と等距離です。成長著しいアジアを商圏として捉えられるのです」
この考えはエイチ・アイ・エスがHTB再建に取り組む意味をもたらしました。
海外旅行総客数で1位になったエイチ・アイ・エスがいま、力を入れているのがインバウンド(海外から日本へ来る旅行)と、国内旅行です。HTBが観光ビジネス都市として再生すればエイチ・アイ・エスのキラーコンテンツとなるのです。
2010年4月、澤田さんは社長として着任すると、まず社員を集めて「志」と「夢」を次のように語りました。
《皆さんは何のためにHTBで働いてきたのか。
それはお客様を喜ばせたい、感動させたいといった志があるからでしょう。
私は観光ビジネス都市という夢が描けたから再建をお引き受けした。皆さんにも夢があるでしょう。
皆さんの夢と私の夢を併せて、この素晴らしいHTBを再生させましょう! その第一歩として黒字にしよう》
続いて、黒字化のための基本方針を三つ示します。
第一に「掃除をしよう」、第二に「明るく元気に仕事をしよう」、第三に「経費を2割下げて売上を2割増やそう」、です。
澤田さんはHTBのコンセプトと商圏の本質を大局的に捉え、ディズニーランドなどの既存のテーマパークと差別化します。
そのことを社員には志と夢で示し、三つの方針で原則化したのです。
第一、第二の方針はテーマパークとしては、ごく当たり前のことです。
スタッフは以前からそのようにしてきました。
ただ、外部から来た澤田さんには不充分に映ったのです。
凡事も徹底して継続してやり抜くと圧倒的な絶対的な差となります。
第三の「経費を2割下げて売上を2割増やす」は、言葉は単純ですが実現は簡単ではありません。
澤田さんは社長就任前に実質借金ゼロで取り組める体制にします。
次に敷地面積の3分の1をフリーゾーンにします。
有料ゾーンを3分の2に絞り、テナントをそこに集約。維持管理コストを大幅に削減しながら賑わい感を取り戻します。
さらに仕入原価をゼロベースで見直しコストダウン。
マネジメントの単位を職能性からエリア制にすることや、仕事のスピードを2割速くするなどの生産性向上を図ります。
売上は客数と客単価で決まります。
客単価は滞在時間に比例します。
入場料を3200円から2500円に下げることで来場客を増やし、魅力あるイベントを次々と繰り出すことで滞在時間を伸ばす取り組みをしました。
取り組んだのは、旬の企画、ここでしかやっていない唯一の企画、日本一・世界一の企画です。
当時、旬といえばAKB48のコンサートや、人気アニメ『ONE PIECE』に登場する船のクルーズなど。ここにしかない唯一のものは100万本のバラや日本初公開の作品が36品も展示されたゴッホ展、ガーデニング世界大会などです。
冬場のイルミネーションは以前から行なっていましたが、まずは日本一にしようと10年に700万球の電飾を使用しました。
12年には1000万球と世界最大級の規模となり、大手検索サイトの夜景ランキングで、3年連続で全国1位に輝きました。
その後も進化を遂げ、訪れる人を魅了し続けています。
HTBにはメリーゴーランド(回転木馬)があります。
施設自体はどこの遊園地にもあるものと変わりません。
ただ、筆者が訪れたとき、HTBの回転木馬の運行管理をするスタッフは、かぶりものをして木馬が回っている間、ずっと木馬にまたがる子供たちに手を振ったり、ひょうきんなダンスをしていました。
一日中です。子供たちの笑顔のために一日中、踊っていたのです。
聞けば、誰に命じられたものでもないという。
澤田さんの「志」と「夢」を共有し、基本方針の一つ「明るく、元気に」を、自分の立場で取り組もうとしたときに、彼は踊り出したのです。HTB再建の象徴だと感じました。
【ハウステンボスの歴史】
1983年 前身の長崎オランダ村開業
1992年 ハウステンボス開業
1996年 来場者数が年間380万人を記録
2000年 創業者が退任しメインバンク主導で再建が始まる
2003年 会社更生法適用申請。翌04年から野村証券系ベンチャーキャピタルの再建が始まる
2009年 ベンチャーキャピタルが撤退を表明。開業以来18期赤字
2010年3月 H.I.S.を中心に九州財界が協力して再生する体制に。澤田秀雄社長就任
2010年9月 最終損益段階で黒字決算
2011年9月 営業損益を含め黒字決算ハウステンボス株式会社
開業◆1992年 代表◆澤田秀雄 所在地◆長崎県佐世保市
年商◆291億円 年間入場者数◆288万1000人
経常損益・92億7700万円 従業員数◆1235名 ※数値はいずれも2017年9月末時点 http://www.huistenbosch.co.jp
小売業、製造業、サービス業。消費者対象の事業(B to C)、産業財の法人営業(B to B)。バランスを意識して選びました。
ハウステンボスは小さな会社ではないので、違和感があったかもしれません。
ですが、前述のとおり、大小は相対的に捉えています。
テーマパークとしてはディズニーリゾートやUSJに比べて圧倒的に「小」です。テーマパークではなく、「観光ビジネス都市」であると、事業ドメインを差別化しなければならないのです。
この段階では、「差別化し、集中し、顧客やユーザーに近づくことで、一番を目指すのが、小さな会社が大きな会社と戦って勝つ方法『小が大に勝つ弱者逆転のランチェスター戦略』である」とイメージしていただけたら充分です。
次章から、具体的に解説していきます。
それでは「弱者逆転」、これより始まります。勝ちに飢えているあなたに贈ります。