
月刊次世代経営者「ランチェスター地域戦略特集」事例3七賢の山梨銘醸 →
新たな戦略に挑んだ老舗蔵元の十三代目
江戸時代中期から、甲州街道、台ヶ原宿(現山梨県北杜市白州町)で酒造りを続けている老舗の蔵元、山梨銘醸。南アルプス・甲斐駒ヶ岳の天然水を使用して作られる同社の「七賢」は、国内で多くの人に愛されるだけでなく、いまや世界でも高い評価を受けている日本酒だ。独自に開発されたスパークリング日本酒も好評で、近年では、フランス料理界の巨匠、アラン・デュカス氏とのコラボレーションにより、「アラン・デュカス スパークリング サケ」を発表するなど、話題に事欠かない。
しかし、経営は現在に至るまで順調にきたわけでは決してなかった。日本酒市場自体、1973年を境にプラス成長からマイナス成長へと転じている。特にビールやワイン、ウイスキーなどの洋酒が日本で流通するようになってからは、かなり長期の低迷期が続いたという。
そんななか、2014年にランチェスター戦略を用いた大幅なブランドリニューアルを行い、経営状況を一気に好転させたのが、十三代目で現代表取締役社長の北原対馬氏だった。北原氏の取った戦略により、同社は14年当時と比較して、売り上げは約3倍に成長し、現在も業績拡大が続いている。
「当時はランチェスターという言葉も知りませんでしたが、今、振り返ってみると、強みを定めてそこに集中したという点でランチェスター戦略だったのだな、と思います」。
老舗蔵元の長男として生まれた北原氏は、幼少期より活気のある蔵の様子を間近に見ており、将来は自分が継ぐのだと意識していたという。そのことを楽しみにもしていたが、地元の高校を卒業後、東京の大学に進学してから、不安を抱き始めた。地元では有名だったはずの「七賢」が東京ではほとんど販売されていなかったためだ。また、当時は、カクテルや焼酎のブームが起こり、日本酒の消費が激減している時期だった。
経営者になるからには簿記や財務ができないといけない。酒税に関しての知識も欲しい。そう感じた北原氏は、大学後半の2年間、簿記の専門学校に通い、徹底的に簿記・財務・酒税について勉強した。その後、山梨銘醸に入社すると、すぐに同社の輸出業務を担当していたアメリカの会社に移り研修を積んだ。業務は日本酒を扱う店舗への営業で、ロサンゼルスとニューヨークでそれぞれ一年半ずつ、計3年間を務めあげた。当時の上司の「君が思い描くように仕事をしなさい」という言葉に支えられ、自ら成果を出せたことは、北原氏にとって非常に大きな経験になった。
結果が出ない日々を経てたどり着いた自社の”強み”

07年、研修を終えた北原氏は25歳で山梨銘醸に戻る。財務の知識はすでにあったため、決算書を読み、すぐに同社が厳しい経営状況にあることを知った。それから3年は、ひたすら思いつく限りの営業に励む日々だった。しかし、結果は出なかった。
「そこでようやく、戦略がないから成果が出ないのだ、ということに気がつきました。毎晩、模造紙を広げ、5W1H、SWOT分析、ロードマップ、販売チャネルなどを書き出し、ひたすら戦略を練り、3年間、試行錯誤を繰り返しました」。
さらに、売れている他メーカーの日本酒を飲み比べ、データを分析し、同じ成分データで日本酒の製造も行った。ところが、まったく同じ成分のはずなのに、なぜか同じ味にならない。何年もその理由を探り続け、ようやく出た結論が「水が違う」という事実だった。
山梨銘醸の井戸に湧き出る水は、南アルプス甲斐駒ヶ岳に降り積もった雨雪が27〜28年かけて花崗岩でろ過されてできる全国屈指の軟水だ。このことに関しては、地質学者に調査をしてもらい、「極めて硬度が低い」というエビデンスも得られた。
白州の水は、創業者の北原伊兵衛が惚れ込んだ天然水だ。伊兵衛は、信州高遠で代々酒造業を営んでいた北原家の出で、分家した後、わざわざ台ヶ原のこの地を選び、酒造りを始めた。白州の水があったからだ。
日本酒の主原料である水。それは、技術や流通の発展、原料の酒米の開発など、さまざまに変化してきたなかで、創業以来、現在に至るまで、唯一残された変わらないものだった。
「水と向き合う作業を数ヵ年続けたことで、私たちは1つの領域に特化することを決めました。何を作っていかなくてはならないのか、そしてそれを、どこに住んでいる、どういった方々に提供していくべきなのか。水を突き詰めれば、自然と答えが決まると考えたのです。水という大きなマテリアルの中に経営戦略、営業戦略、製造戦略などが自然と収まっていきました」。
白州の水からすべての戦略は生まれた
14年より北原氏は大改革に取り掛かる。事業戦略はすべて、全国屈指の軟水である白州の天然水から派生するものだ。この水を活かして造るのは、香りが華やかですっきりとした日本酒だ。そのために、原材料の酒米の大半を地元産のものに変えた。濃厚な味わいのお酒に向いた山廃造りや生酛造りをやめ、すっきりと仕上がる速醸造りに特化。1年を通して酒造りを行えるよう、杜氏制度を廃止し、社内体制を整えた。フレッシュに仕上げたいと、タンクでの熟成もやめた。また、原酒を薄めるやり方ではなく、低アルコールの原酒をそのまま瓶詰にすることも決めた。
販売面でも大きな方向転換を図った。30銘柄あった商品を半分の15銘柄に厳選する。販売チャネルも見直し、取扱店の数も絞った。勝負をかけるのは、首都圏、地元の山梨、海外の3拠点。すべては、白州の水で造るすっきりとした日本酒のため。水と徹底的に向き合ったからこそ生まれた戦略だった。

既存商品の多くは低価格帯のものであったが、価格を見直し、高級感を演出するためパッケージも変更した。「七賢」というブランド名以外は、すべて変更したと言っていい。七賢自体の味も、以前の物とはまるで違うものになっていた。
「それまで『七賢』を飲まれていた方からは、味も変わったし値段も上がった、というご批判を受けることもありました。それでも、私たちが信じる道ですのでご理解くださいと言い続けました」。
リニューアル当初、北原氏は、3年間は赤字になることも覚悟していたという。ところが、予想に反して翌月から売り上げは伸び始めた。その後も下がることはなく、北原氏は、お客様に受け入れられたのだ、と成功を確信した。
地域の資産を活用し、付加価値で勝負する
徹底的に白州の水にこだわる、という同社の姿勢は、現在、新たな挑戦にもつながっている。
スパークリング日本酒は、その代表的なものだ。アルコールを飲む人がどのようなタイプの酒を好むのかの定量分析を続けた結果、「ビールなどのような泡ものが日本酒には足りない」という結論に至り、挑戦は始まった。
炭酸ガスを人工的に注入すれば、簡単に作成することはできる。しかし、それではこだわり抜いた「七賢」の味が活かせない。県内のワイナリーを訪れ、シャンパンの製法を参考に、レシピを練り上げていった。最終的には、瓶内二次発酵という高度な技術を用いることで、目指した品質のスパークリング日本酒の開発に成功した。
開発期間5年を経て15年に発売されたスパークリング日本酒「山ノ霞」は、すぐに評判を呼んだ。翌年16年には「星ノ輝」、17年には「杜ノ奏」が開発され、主力商品となる3種類が揃う。国内外での評価も徐々に高まり、スパークリング日本酒は売り上げでも全体の2割を占める商品へと成長した。アラン・デュカス氏とのコラボも、スパークリング日本酒によるものだ。
ブランド戦略では、数量を絞ることで付加価値を高めていくやり方が取られることもある。希少価値の演出だ。しかし、北原氏はその道を取らない。あくまでも数量もバリューも上げていくことにこだわる。
「自分たちを日本酒業界の中の1社だと捉えるとできることは限られてしまいます。そうではなく、アルコール産業の中の1社と考えるだけで、可能性はぐんと広がります。日本酒の消費割合は国内でもわずか4.6%、世界で見たら0.1%に満たないのです。水にこだわっているから品質には自信がある。ならば、海外市場での展開など、やれることはまだまだあります」。
日本酒メーカーでありながら、海外をも視野に入れた大きな視点を持てたのは、3年間の海外研修の影響が大きい。自らを小さな枠に収めない、という考えもこの経験から培われたものだと北原氏は言う。
白州の水へのこだわりは、造り酒屋という枠を超えてさらに広がりを見せている。「七賢」の糀と厳選した食材による発酵食品「ひとさじ糀」を開発したり、米糀由来の天然成分「糀糖」を使ったスキンケアブランド「COJIE」を立ち上げるなど、化粧品や飲料・食品の開発・製造販売も積極的に手掛けている。26年5月には、地元白州に高級旅館をオープンする予定だ。酒の原料米の自社生産も具体的な計画として始まっている。

参考にしているのは、豪華な飲食店、レストラン、ホテルなど多角的な経営をしている海外のワイナリーだという。アルコール事業を軸に、知識・ホスピタリティ産業を展開することで、ブランド価値を高める。メーカーだからこそ可能な事業戦略であり、それをやらないという選択肢はあり得ないと北原氏は言う。
「新たなことに挑戦しようとすると、どうしても尻込みする社員もいます。14年に大改革をしようとした際も、いろいろな人から止められました。しかし、私は『私を説得できるだけのやらない理由を教えてください』と逆に彼らに問いました。誰も答えられませんでした。成功している人たちを見ればわかります。彼らには、できる理由も、できない理由もなかったのです。ただ、やっただけ。行動を起こすことで、人間は成長ができます。だから、やろうよ、と言い続けています」。
北原氏のアイデアはとどまるところを知らない。同社を、幸せ創造企業と定義し、事業領域を拡張し続けようとしている。やりたいことはいくらでも浮かぶし、未来への展望も明るい。そして、その軸にはやはり白州の水がある。
「白州と共に生きる、という意識が強くあります。創業者が見つけ出した、この土地のこの水にこだわり続けたいし、水を守っていかなければなりません。そうやって、創業以来、山梨銘醸というのれんは代々受け継がれてきました。私は13番目のバトンリレー者。水を中心に、ひいては地域を守りつつ、トップランナーになって、次の世代にバトンを渡したいと考えています」。
【Company Profile(会社概要枠:23ページ右下)】
- 社名: 山梨銘醸株式会社
- 所在地: 山梨県北杜市白州町台ヶ原2283
- 設立: 1925年(創業1750年)
- 資本金: 1500万円
- 従業員数: 39名
- URL: https://www.sake-shichiken.co.jp